Goyim-blog

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9月

 高校時代の同級生の友人が開業している歯科12時の予約に間に合う様に11時過ぎには家を出た。駅へ向かう道でも、日影を捜す暑さに夏休みが終わった事さへ忘れてしまう。歯科の帰りの電車で、5月下旬の歯科からの帰宅後の事を思い出した。5月下旬の歯科の帰路に寄った子供のカードショップのライトの光でさえ、視界を刺す様に刺激でその店に5分と居られなかった。その帰路の電車に乗って20分程の時間にも疲労感が有り、その夜は21時に直ぐ眠りにつけた。3カ月後の9月には携帯電話ショップへ寄り帰りの電車も疲労感無く、就寝時間も24時を過ぎていた。9月1週目の週末日曜は昼食も自炊(ナス、玉ねぎ、椎茸、生姜、炒めて蒸した)をして回復を実感する。翌日は夜明けから雨が降り気温も30℃以下となり1ヶ月以上ぶりに冷房を止める。外出しない替わり、1ヶ月ぶりに近所の土手をウォーキングした。汗まみれになったのでもTシャツを着替える。翌日は朝から晴れ日差しが暑く、昨日の涼しさが無かった様だ。朝食後に電話で母の声を4か月ぶりに聴き涙した。将棋と酒を教わった親戚の叔父の死を知り、又涙した。背中に衝撃を感じる数日前に亡くなったとの事。MRIを取った結果、5月の状況と変わらず左右の神経は繋がっていなかった。再診は1年毎という事で、担当医が来年度の4月には病院には居ない。今後は近所の病院で処方して貰う様紹介状を書くとの事だ。今年末の12月9日診察予定だが、就職出来ているだろうか?リハビリで左肩甲骨腕背中のシコリの痛みをとって貰い少し楽になる。その翌週のリハビリの帰路に残暑の中、回復を実感した。来月の10月が終わる頃には左腕の痛みも無くなり、身体のバランスもとることが出来る様になるだろう。左肩甲骨外側のシコリが徐々に位置を内側に移動し、大きさも小さくなっていった。それと共に雨の日も増え、残暑でも陽が沈めば気温が下がるが蒸し暑く冷房は止められない日が多くなった。9月20日を過ぎれば30℃をしたまわる予報だが、未だ1週間もあり左肩甲骨の痛みも無くなっていく事と期待している。

 9月の祝日(敬老の日)が終わり、リハビリの前日に病院へ電話した。内容は傷病手当書類の催促。6日に「20日にはお願いします」と念押ししたが、出来て無いとの返答なので「先月いつまでと聞かれたらので20日迄と返答したので再度担当医へお伝え頂きたい」旨を伝えると、3分程保留された後「今日中に作成します」との返答をもらえた。結局1日で作成出来ると確認出来た。傷病手当て書類を受取にいけない日に深夜2時過ぎからずっと眠られず「敗戦国の日本は勝戦国米国に家畜の様に太らされた。そして米国の景気が悪くなり時代も終わった現在80年後も日本国民は痩せ細り餓死させられても文句も言えず、羊で有る己を知る事も無い」始まる7回目の日に書類を受取る。其の翌日に雨が降り気温も下がり、冷房の除湿を2ヶ月以上振りに電源を切る。書類を受取った二日後の朝、妻に記載して貰い投函する。9月の最終週の金曜日、リハビリに行き回復状態を実感する。未だ腕が思う様に動かせず、痛みも有るが2週間前は左腕も上げられなかった。帰路に公園を通ったときも「こんな真っ昼間に、公園を歩ける事が有難い」と実感した。半年前は杖を付いて妻の補助がなれば歩けなかった。退院半年後10月になる前にはジョギング出来る有難さを感じざるを得なかった。