Goyim-blog

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11/9(土) 晴天 嫁の実家へ

 行くと嫁の姉妹がいた。その義理の姉が中学生の息子にインフルエンザを打たせ様としているが、その義理の姉の息子は拒否している様だ。子供達は「枠珍が生物兵器で有る現実」を知っている。自分の親が枠珍で接種後に緑内障の手術をして呼吸器系不全で寝たきりになっても気が付かない義理の姉家族や義理の妹達が「枠珍が生物兵器」だと無知なだけだ。何年経っても現実を理解出来無い。正に「sleeping sheep」

 コレが国民の大半だ。自分で情報を精査できず、亡くなって行く羊達には思考力も無く自ら棺桶に進む様に命を投げ出す。止める事などしても無駄だ。残念で涙も出ない。酸素吸入機を付け寝たきりの義理の父の姿は、とても気の毒で言葉も出ない。

11/4(月)11月の3連休最終日

 昨日11/3(日)高円寺へギターを持って行った。ギターへpaintしてもらうために持って行ったが、アーティストにpaintしてもらえず11/7に再チャレンジする迄店の人の好意で預かって貰った。

 だが翌朝起きて

「アーティストがpaintしたいと思うギターを俺が弾けば良い」 → 「大切なギターを取りに行こう!」

 と本来の自分を取り戻した。

「他人の力をあてにし無いで自分の魅力を出す事が先ず最初にする事」だと気が付かされた。周りの人達やアーティストの反応で気が付いた。この気付きは自分の中でとても大事だ。

 さぁ今日もジョギングで身体を起こそう!

10/29 美容院に行けず

 雨の予報もなかなか降らず、行っておけば良かったと少し後悔していたが行き先の渋谷では雨が降り続けていたのでやはり予約を明日に変更して良かった。洗濯物の事で妻と言い合いになる。今日の気温の急激な冷込みで妻もイライラしている様だ。結婚前と結婚後は俺への気持ちも変わらず真っ直ぐだったが、子供が産まれて小学生になり俺が仕事やお金になる事ばかりに時間を取る様になり、家庭を顧みない俺に愛想を尽かした。決定的だったのは毒珍接種の事で妻の親と電話で話してからだ。ファイザーのホームページにある毒珍の説明PDFには「接種者の汗や息から伝搬する」期間は4〜6週間と記載されていた。毒珍を接種する事にも反対だったが、生粋のソーカ信者で有る妻の母親には毒珍が世界を救うと信じ込んでいたので反対は出来なかった。そのかわり「毒珍打つなら、2ヶ月はウチの子供には会わないでくれ」とお願いするしかなかったが、この話だけで感情的になった妻の母親は俺が「子供にづっと会わないでくれ」と言ったと勘違いし、その文句を俺の妻に言って俺の妻は俺への気持ちは「離婚」へと変わっていった。完全に家庭内で分断された。その後俺が脳梗塞になり離婚はしなかったが、狭いマンションの部屋で分断状態となり結婚前の妻の態度は正反対に俺への態度が変わってしまった。

 2020年に毒珍接種が始まり4年経過し超過死亡者数が戦争の死者数を上回っても羊達は何も気が付かない。戦後の「3S政策」で骨抜きにされた思考では気が付く事は不可能だ。先週末に行われた衆議院選挙でも与野党問わず、グローバリストの演説が散見されるが正に世も末だ。以前は反グローバリスト発言をしていた大物議員も今では何処の国の政治を勧めているか不明だ。せめてもの救いは未だ反グローバリスト政治家がいる事だが、いつまでも反対勢力を続けられるか謎だ。反グローバリストは簡単に殺されてしまうからだ。

過去の不審死で政界を去った方々が主張していた事を見れば誰でも確認出来る。コレに気が付かないアホン人の羊達は政府が勧める毒珍を受け入れた。親族や大切な人を亡くした人達は自らも接種をしている様で体調不良を身をもって実感し毒珍だと認識した様だ。しかし国民の八割が毒珍を摂取し、毎年30万人以上の羊達アホン人が亡くなって今後ももっと増えるだろうが気が付かない。気が付いている人間は1億人の2割程度のニ千万人程度だろう。その亡くなった100万人以上の労働力を外国人で埋めようと言う発想自体が日本人では無い。日本人のふりをした帰化政治屋供だ。自公連立政権が過半数割れして自民党の中のマトモな政治家も粛清される今回の衆院選選挙だとも気が付かない日本羊アホン人達。政権が自民党から変わるたびに震災が起きて、自民党に政権が戻る。関西大震災、東北大震災と二度起こった震災は与党政権が民主党の時だった。「歴史は繰り返す」と言うが「歴史は繰り返される」の間違いだ。同じやり口しか持ち合わせていない。予言でも予測でも無い。何の罪もない人々の死を招く震災を使い政権を戻し、戦争に負けた敗戦国は80年経っても家畜同然の敗戦国のままだ。日本人が居なくなるまで日米合同会議で議決された勝戦国の意のままに実行支配しくのだろうが、そんな簡単には日本人は決して消えない。

10月3連休の中日から10/28

 起床後にジョギング6km。いつもの週末とかわらない。変わるのはこの週末で出勤と勤務が無くなる事だ。自分の判断が原因で招いた事を認識する迄に衆院選が終わった2週間後の10\28(月)の朝にコレを書いているが、朝から降っていた雨が12時頃止む予報の為、仕事が休みの妻の家事を手伝う。でも予報通りでは無く、雨が止んでいる様だ。肌寒いので軽く筋トレして体温をあげてからジョギングにでも行こうか、と思案しているが本来なら今日の午前中に浅草寺にいくつもりが午後に行こうかとも散髪にでもと考えはじめた。

 この気持ちの余裕が大切だと自分に言い聞かせ、1日の予定を1ヶ月を、、、と。先ず自分の現状を把握し、その自分が出来る今後を予定していく。自分の病気の後遺症を把握する迄に2週間もかかった。が、気がついただけでも救われているし生きているだけでもご先祖様に感謝出来る。産まれただけでも奇跡なのに、病気で生きているだけでも二度目の奇跡だ。これからはこの奇跡を忘れ無い様に生きていく。

 さあ筋トレからはじめよう!

10/26 気温25°でTシャツ短パンで

 ジョギング後、いつもの様にシャワーで汗を流し入浴して身体を温める。ジョギングしていない人は長袖長ズボンで無いと寒い様だ。ジョギング前はトイレ掃除後軽くプランクレッグレイズと温く汗をかく寸前の体温を上げてジョギングを始めた。帰りは空き缶空きペットボトルに空き容器を両手に走りゴミ箱に入れ、9階迄フロントランジで一段飛ばしで階段を上がる。このルーティングを去年の10月〜今年の5月末迄。その後は週末の土日だけしか出来なかったが先週末から雨が降って無いので毎日。

 今日も入浴後に食事を終えてゲームをする為座椅子に腰掛けようとしたら目眩がして椅子に座る事も出来ず横に這いつくばる。全身から汗をかくが、なぜかその汗で体温が下がり、寒さで震える。何とかTシャツとズボンを着替え息子しか居ないので布団をひいてもらう。その布団にソファーから移動出来る体調回復迄30分程かかり、移動した布団でやっと眠りにつくまで30分以上かかり14〜15時迄1時間程眠られた。目眩は3週間程前にもあったが、今回の目眩は前回以上に初体験のダメージだった。この状態を誰も居ない部屋やジョギング中に襲われたらと予想するだけでどうなっていたかわからない。

 「自分は若い」と思っていたが、この目眩で実年齢を思い知らされた。もう二度とこんな辛い思いをしたく無い。今日はこの目眩が治っても食事を作る気になれず、妻のスープだけの夕食と空腹を林檎だけで抑え寝る。明日からはしっかり食べて運動をしていこう。

あれから1週間経つが

 めちゃくちゃ落ち込んでいた。が、音楽を聴いたらギター弾きたくなり、落ち込んでいるのを忘れやりたい事を思い出した。頭から離れない自分の世界を表現したい。ここ何年間頭から離れない音楽と画の動画。折角時間が有るのだから、カタチにしないのは勿体無い。ただひたすらソレを表現するだけだ。

10/24 先週末で最終出勤日を終えて

 今週から毎朝5時に起床時間の制限無く眠られるが、やはり6時には目が覚める。そして子供達が学校に行く前にはジョギングへ出かけ、帰宅する約30分後には誰もいない部屋に汗だくで帰って来る。風呂へ入り汗を流し、上がったら洗濯機を回す。朝食中に洗濯機が回り終え、洗濯物を干す。この有難い時間を持て余し、図書館に行ってみるが休館日。結局晴天の空の下で歩き回り汗をかいて帰宅。

 帰宅後、一通のメールで落ち込んでいた気分も上がった。何も決まった訳じゃ無いが、単純だ。晴天とわ言えない、雲の合間から刺す日光と冷たくなってきた空気が気持ち良い。

 やりたい事が出来る時間が有るのに、何もしないのは勿体無い。本当にしたい事なのか?疑問が頭をよぎっているが「今やらないといつやるんだ」と自分自身に問いかけやる。